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第9回 
宮崎県 諸塚村の巻

日本全国の森を訪ね歩き調査・探検を続ける、どんじゃら探検隊。
今回彼らは、宮崎県の北部、九州山脈の奥深くに位置する諸塚村を訪ねた。
1000m級の急峻な山々に囲まれた諸塚村では、
古来より育まれてきた山村文化が今なお息づき、
人々は先人たちの知恵を受け継いで、森と共存しながら暮らしている。
近年、独自の産直住宅プロジェクトをスタートさせるなど、
新しい取り組みに積極的である。
この小さな山村から、新しい時代の人と森、循環型社会のあり方を探ってみよう。
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天空の村、諸塚へ

「はい、アクセル踏んで」
「ゆっくり、ゆっくり」
「ハンドルもう少し右、そうそう」
凍結した山道。動けなくなった車を数人の男性が素手で押しながら、運転席の女性に向かって大声で叫ぶ。足下が滑って思うように力が入らない。車は横滑りしながらも少しずつ前へ進む。数分後、やっとの思いで凍結路を脱出する…。
「ふう、助かった」
「まだ雪が残っているなんて」
 早春のある晴れた日の朝、熊本空港に降り立ったどんじゃら探検隊のメンバー(喜一隊長、千葉ちゃん、カズ)は、出迎えたマドンジャラ(どんじゃら探検隊 のマドンナの愛

称)末武と環境コンサルタントの松下修氏と合流。車に乗り込むと一路宮崎県諸塚村へと向かった。県境付近の山中では、一部路面が凍結してい て、一度ならず隊員たちは山の自然の厳しさを味わったのだった。
 その後は青空の下、快適な山岳ドライブを続けること約1時間、一行は正午前に諸塚村に到着、昔ながらの素朴で美しい山村風景に迎えられた。自然のままの 姿をとどめた清流。周囲に広がる美しい森。山の中腹には小さな集落が点在し、通りすがりの村人は笑顔で挨拶してゆく。
「なんだか懐かしい。ネパールの空気を感じますね」カズが第一声を発する。 「この村はちょっとした別世界なんです。峠を越えたら天空の村がある…まるでシャングリラみたいに」すでに何度か村を訪れている熊本出身のマドンジャラ が、諸塚村の印象を的確に表現する。「森にもきちんと手が入っているようだぁぁ」と森の土霊がのたまうと、「昔から村人はみんなでこの森を守り、育て、共 に暮らしてきたんですね。それは今も変わりません」と、今回の探検をコーディネートしてくれた松下さん。一行は店内にネパール国旗を掲げた食堂で昼食をと ることにする。諸塚村はなんとネパールの小村と友好関係を結んでいるのだった。一同「ごもっとも、ごもっとも」 。
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合言葉は「林業立村」「モザイク森」

諸塚村役場で一行の到着を待っていたのは、企画課長補佐の矢房孝広氏だった。一級建築士でもある彼は、東京や大阪での都会暮らしを経て諸塚村の戻り、現在 は村のために情熱を傾けている人物。数年前からスタートした諸塚村産直住宅プロジェクトのリーダーでもある。優しい笑顔が印象的な矢房氏。さっそく諸塚村 の概要を隊員たちに語ってくれた。
 宮崎県諸塚村は九州山脈の奥深く、天孫降臨伝説の地・旧高千穂郷の一角に位置する。人口2400人余り、1,000m級の急峻な山に囲まれた小さな山村 である。標高150〜800mの山間に88の集落が点在し、村土の95%を山林が占める。山林の98%は民有林で、人工林(植林した森)率は73%。スギ やヒノキといった針葉樹と、椎茸の原木になるクヌギやナラの広葉樹を混交して植樹したモザイク林相と呼ばれる特徴的

な森が広がる。大規模林家は少なく、10〜50ha程度の森を所有する家族労働的な中規模の林家が中心となっている。村外に住む不在山主もほとんどいないという。車道 密度は日本一を誇る。つまり、道路網が整備されているということで、生活面ではもちろん、木材搬出など産業面でも大きなメリットを生んでいる。
 諸塚村は、戦前は陸の孤島と呼ばれ、宮崎県一の貧乏村と言われた時期もあったらしい。しかし昭和30年代に入り、山に生きる「林業立村」を合言葉に、林 業、椎茸、お茶、諸塚牛を四大基幹産業と位置づけ、家族単位の農林家で、それらを複合的に経営する手法を推進。その成功は当時脚光を浴び、日本初の原木栽 培による肉厚で風味豊かな椎茸も、全国的にその名を馳せた。夜神楽や地芝居といった昔ながらの芸能文化も大切の保存され、その存在が古き良き共同体集落形 態の維持に大きな役割を果たしている。
 「日本中の多くの森が荒廃している中、諸塚村の森が保たれている最大の要因は?」千葉土霊の質問に矢房さんはこう答えた。「平地がなく、急峻な山しかな いという環境の要因が大きいと思っています。農耕民族ではなく、山岳民族として森と共存するしかなかったからでは…。『もののけ姫』のシン神信仰みたいな もの。諸塚の針広混交のモザイク林相には、山岳民族の照葉樹林文化の流れを感じます。」
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産直住宅プロジェクト

探検隊は矢房さんの案内で耳川広域森林組合・諸塚木材加工センターを訪れた。周囲を山に囲まれた広大な敷地に圧倒される。この第二工場は、諸塚村産材の主流になりつつある中目材(径級18cm以上)に対応した大型設備を備えているという。
 一通り見学を終えたところで、矢房さんが、現状と新たな産直住宅の取り組みについて説明してくれた。
 これまで地道に築き上げてきた諸塚村の小さな山村経済も、ここにきて激動の時代を迎えているという。椎茸産業は外国産の価格破壊で失速し、頼みの林業も原木価格が激しく落ち込んでいるというのだ。
 そこでスタートさせたのが、諸塚方式産直住宅プロジェクトである。山側(川上)と町側(川下)が人的ネットワークを構築し、主に山側がセミナーや産地見 学ツアーなどを通して情報を発信する。そして、双方の交流の中で森林資源の大切さや山村文化の理解を深めてもらおうというのだ。通常の産直住宅のように単 なる素材の直売だったり、あるいは観光開発に終わらない、人にも地球にも優しい運動を目指しているという(この運動の根底には、山村の人々が自信をもって 生活していける基盤づくりを目指したエコビレッジ諸塚構想がある)。
 建て主や設計者、工務店が木材生産現場を訪れ、逆に木材生産者が上棟式や竣工式に参加することも含めて、木を育てた人と木を使って家をつくる人、そして そこに住まう人のお互いの顔が見える、これまでにない流通を目指している。エリアは九州限定。顔の見える交流のための距離の限界や運送エネルギーの無駄を 省くこと、地域材の家づくりを意識的に行うことがその理由である。
 平成9年にスタートしたこの取り組みも、平成13年で通算40棟を超える実績となり、徐々に軌道に乗りつつあるという(目標は加工センターの生産量の1 割程度)。葉枯らし乾燥を始めたのも、産直住宅を通して、建築の現場が求めているのは「きれいな無節材」よりも「しっかりとした乾燥材」だと分かったから だという。
 諸塚村の新たな挑戦に共感を覚えた隊員たちは、産直住宅のモデルハウスがあるというので案内してもらうことにした。木造2階建てのモデルハウスは、葉枯 らし乾燥材を使用した板倉(柱と柱の間に板を落とし込んでいく工法)の家。ビニールクロスや有害塗料、断熱材を一切使用せず、燻煙乾燥木材、柿渋、蜜蝋 ワックス、木炭、低農薬い草の畳など、自然素材づくしといった内容で、木材使用量は通常の住宅の2〜3倍という。実際に中に入ると五感に優しい住宅である ことがすぐに実感できるのだった。
 夕暮れ間際、隊員たちはモザイク林が一望できる高台に登った。隊長が素早くスケッチを始める。暮れなずム山々と、そこに点在する集落。民家からは夕餉の 煙が立ち上る。こんな風景がまだ日本に残っていたなんて…一同時間も言葉も忘れ、しばらくそこに立ち尽くしていた。

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どんじゃらウォーク

翌日早起きをして、古原に向かった。搬出直前の葉枯らしの現場があると聞いたからである。一同が乗り込んだ車は、川沿いの道を上流に向かって進んでいく。
葉枯らしの現場は、かなり奥地にあった。車は山道に入ってしばらく進み、ある地点からは徒歩。残雪の斜面を慎重に進んでゆくと、突然目の前が開け、山の 斜面に大量のスギが川のように横たわっている光景が目に飛び込んでくる。杉は50年生で、昨年10月に伐ったものだという。 葉がついたままの状態で山床 に3〜4ヶ月放置し、製材後さらに4ヶ月ほど自然乾燥してから、産直住宅の材として出荷されるという。
車に戻ってみると、少し離れたところからチェーンソーの音が聞こえてくる。音を頼りに近づいてみると、ちょうど2人の山男が15年生の杉の間伐作業をし ているところだった。居合わせた山主の尾形森衛さんに声をかけると、気さくに応対してくれたばかりか、馬追い歌まで聞かせてくれた。諸塚村の魅力はつまる ところ人の魅力でもある。
その後、帯状間伐の現場や複層林を見て回った。帯状間伐というのは通常の間伐のように間引くのではなく、一定の幅(20mなど)で一列に間伐すること。 複層林は、大きな木々の間に苗木を植えることで、苗木が雪や風から守られ、伐採時にはハゲ山にならない。
森歩きを通して隊員たちが受けた印象は、森のあちこちで作業が行われている、つまり森が活気に充ちているということだった。

 
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椎茸の原木栽培

午後になると、一行は諸塚村の重要な産業のひとつ、椎茸の原木栽培の現場を訪ねた。奈須高光さんの榾場はかなりの広さがあり、クヌギやナラの榾木が無数に 並ぶ光景は圧巻である。奈須さんは林業と椎茸栽培を複合的に行っている。スギの価格は6年前の3分の1に低迷しているが、椎茸は肉厚のものを栽培し、直販 ルートで何とか中国産に対抗しているという。
「若者の中には林業や椎茸栽培に不安を感じる人もい

るし、町に比べて稼げる額は低いかもしれないけれど、食料自給のことを考えれば、ここの方が暮らしやすい面もある」と奈須さんは語った。
その夜、古民家を再生した宿「へいだの里」に矢房さんを招き、囲炉裏を囲みながら、林業立村真実一路の酒宴の会が開かれた。「諸塚の村づくりは、拡大生 産や成長至上主義とは一線を画し、生活の安定、家族単位をベースとした適切な経営規模の構築が最大の目標」という矢房さんの言葉が印象的だった。
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トラゴヤのスギ

最終日は、トヤゴヤのスギと呼ばれる高齢木があるというので、小原井という土地に赴いた。
まずは、森の所有者である藤本一郎さん宅を訪ねる。山々を眺めながら、美味しいお茶と干し柿をご馳走になった後、藤本さんの案内で残雪の森に入っていく。 一同、あっという間に藤本さんに置いていかれる。「さすが、山の人にはかなわない」とやわなカズが肩で息をする。
頑張って歩くこと15分、最後に山の斜面を50mほど下る(滑落する)と、一本の巨木が天に向かってまっすぐに伸びている。すごい貫禄である。このスギ は一郎さんの5つ先代の寅治さんが植えたスギなので、トラゴヤという名がついたらしい。樹齢は200年を越えるという。
「2000年前から村を見守ってきたんですね」千葉土霊が言うと「村の人は森を大切にしているから、きっと喜んでいるでしょうね」とマドンジャラ。「これ からもずっと変わらない風景を見守って欲しいですね」松下さんも太い幹に手を触れながら静かに語った。
森から出てくると、ちょうど架線索道(ロープウェイ)による搬出作業が行われていた。隊員たちは伐採されたスギの木が空中を移動していくのをしばらく眺めていた。
そろそろ今回の探検も終わりが近づいていた‥。
誰もが去りがたい気持ちを抑えていた。

矢房さんはじめ協力していただいた方々に別れを告げて村を去らねばならなかった。「すっかり諸塚ファンになってし まったなぁ」車に揺られながらカズが言うと、「ごもっとも、ごもっとも」と松下さんが笑顔で頷く。「町に住む人間の故郷願望みたいなところを刺激する村で すね。普通のことを当たり前にやるという、実は一番難しいことをやっているところに感動しました」と土霊ちゃん。マドンジャラも熱い胸のうちを語る。「諸 塚の人たちは優しく、奥ゆかしく、そして逞しい。そんな村の人の顔が見えるからこそ、背景の自然も一段と美しいんだと気づきました。現代人が忘れている、 森と生きる豊かな暮らしを、村の人が保つことができればと思うし、それを崩さないように町の人も役立てるといいですね。山のことって、巡りめぐってすべて に影響することですからね」
そして、隊長が最後に総括するように語った‥。
「山で自立していこうという気構えがいい。しかも、無理をせず地道な感じがね。外部とのチャンネルも独自に持っているし、きちんとした人がついている感じだね。やっぱり、山はいいし、諸塚村もいい。大切にしたい村だなぁ」

それから数時間後、いつまでも諸塚村が元気であり続けることを念じながら、隊員たちは機上の人となった。諸塚再見。



架線索道(ロープウェイ)による搬出現場。
森から運び出された木材はトラックで運ばれてゆく。


「へいだの里」の問い合わせは
「しいたけの館21」 0982-65-0178まで


今回どんじゃら探検隊が旅の宿としたのは、古民家を再生した「へいだの里」。諸塚村が経営する山の宿である。茶畑や民家に囲まれたのどかな立地で、外部には展望デッキ、展望露天風呂があり、山々を眺めながらの入浴は最高。広い土間を上ると、囲炉裏の間があり、今回隊員たちもここで楽しいひとときを過ごした。「これだけの民家を再生することは本当に意義深い」と隊長も絶賛。村には同様の施設が他にもあるという。

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森林文化の村の取り組み
                 ( 「パーマカルチャーデザイン」自然計画 / 松下 修 )

この春、40年ぶりの神面行列が復活した宮崎県諸塚村。山深い森林文化の村である。
縄文時代から幾重にも重ねられた文化、山と向き合う暮らし、変わらぬ地域社会の在り方、ここには日本の原点が残っている。

 この村からのメッセージ「木を活かした暮らしの提案」は人には自由で豊かな暮らしをする権利があると言っているようだ。都市の暮らしに自然と語らう豊か な時間が失われて久しい。素材は自然から調達するもの、自然に還すものという意識がなくなり、暮らしが、大量生産の経済システムの中に取り込まれた結果、 必然と趣のある風景や緑の暮らしがなくなった。私たちは、いきいきと生きること、緑の民に戻る事を取り返す必要がある。その「元」がこの村にあると気づい た。

 「ふるさとリバイバルプロジェクト」の活動でビオトープをつくったり、バイオガスプラントの挑戦やグリーンツーリズム「大豆応縁倶楽部」、実のなる広葉 樹を植林する「交流の森づくり」、スギを活かした和紙づくり、バイオマスエネルギーの取り組みなど、人との関係性の中で、地道に村づくりをしながら、暮ら しをも再生している。
「諸塚村方式産直住宅」にも力を入れている。賛同者の建築家や工務店と連携し、海外の森林破壊や国内森林の問題を視野に入れながら、安全で環境に負荷のかからない家作りを提案している。

 多くの賛同者がこの村を支え、そして元気をもらっている。施主と林家が互いに涙するような感動のドラマもしばしば見られる。家づくりは参加してこそ味の あるものだ。「諸塚村方式産直住宅」のような心地よい家づくりが、私たちの未来を豊かにするように感じてならない。

 

   
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