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第2回 
紀州 山長の巻

家づくりと関連の深い日本全国の森と山を訪ね歩き、森の現状や現地でのさまざまな取り組みを調査・探検するために結成された、どんじゃら探検隊。メンバーは建築家、工務店、雑誌編集者、そして木材組合からの参加も得て計4人。
それぞれのメンバーが異なる視点で森にアプローチしていく。
第一回宮城県くりこまの森に続いて今回は、昔からの木の国として知られる和歌山県は紀州の森を訪れた。
名高いブランド材の故郷とは、いったいどんなところなのか・・・、
探検隊は期待に胸をはやらせていた。
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ある晴れた早春の夕暮れ、東京フェリー埠頭に4人の男たちか゛集まった。建築家鈴木喜一率いるどんじゃら探検隊のメンバーである。隊長をはじめ、土霊副隊長の千葉ちゃん、カズ、そして、探検隊が前回訪れたくりこまの森から、大場隆博も新隊員として加わっている。今回の目的地は、古くから、良材の産地として知られる紀州の森である。
「紀州材は、よじれない素直な木質と、目が込んでいて強度があるのが特長で、梁や柱などの構造材として最適と言われます」さっそく千葉ちゃんが解説する。
探検隊が乗り込んだ大型客船「さんふらわあ・くろしお号」は19時50分、定刻通り東京湾有明埠頭の岸壁をゆっくりと離れた。目指すは和歌山県那智勝浦港。紀州材の運搬は、現在ではほとんどが陸送だか、かつては船で江戸まで運ばれていたという。今回、この海路を選んだのは、昔ながらの木材運搬コースに思いを馳せながら遡ってみよう、時間をかけて謙虚な気持ちで森に入ろう、という趣向なのだ。くしくも「さんふらわあ」の航路が近く廃止予定と聞かされた隊員は、一抹の寂しさを感じられずにはいられなかった。
「速すぎると大切なことが見えなくなる・・・」隊長が憤りを込めてポツリと言った。
翌朝、皆が目覚めた頃、船は朝陽に輝く洋上を進んでいた。海を眺めながら入浴を楽しんだ隊員たちは、丸太の気分を存分に味わったのだった。船は8時過ぎに那智勝浦港に到着。海のすぐ近くまで迫る紀州の山々は、美しい緑で覆われていた。
「高くはないけれど、急峻なのが紀伊の山の特徴です」と千葉ちゃん。
「紀州材の品質の秘密を探るぞ」とカズが張り切れば、「紀州の山と人はどう生きているのか興味津々」と大場新隊員の目も輝いている。
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上陸後、探検隊はバスに乗り込み、熊野古道中辺路をたどる。山越えのルートで紀伊田辺を目指しているのだ。道すがら、澄んだ鳥のさえずりと七分咲きの桜が探検隊を歓迎してくれる。ひと足早い春の陽光の中、熊野川沿いをバスは揺ら揺らと上っていく。
「熊野川 音が聞こえる うぐいすか」 「山桜 咲き始めたる 紀州山」あまりの気持ちよさに隊長が単純な歌を詠んだ。車窓には早くも植林地帯が広がっている。急峻に杉や桧が整然と並んでいるのだ。
「捨て伐り(間伐した材を費用の理由で搬出できずに放置してあるもの)も少し見かけたけど、このきれいな森を見るだけで、紀州の山の人の苦労が分かりますね」
大場隊員が大いに感心している。丸太を積んだ大型トラックが何台もすれ違う。「さすが木の国だね」とカズ。道中、熊野本宮に立ち寄り、しばし幽玄深谷の世界に浸った後、一路平安田辺に向かう。湯ノ峰温泉を通過するあたり、足利時代の切なくも温かな伝説を森の土霊の千葉ちゃんがまたまた語り始める。「毒酒を盛られた小栗判官が、遊女の助けでこの湯につかり蘇生したそうです。実はその遊女こそ流浪の身となっていた妻の照手姫だったというんですよ」一同「ふーん」。
田辺に到着した探検隊は山長商店を訪れた。南紀州で広大な森を育て、紀州材の品質にこだわりながら、最近ではプレカットにたいるまでトータルな取り組みを行っている江戸時代からの老舗だ。製材工場や最新技術のプレカット工場、高温乾燥機などを見学した後、探検隊は筑波大学教授安藤邦廣氏の講演会に参加した。
テーマは「森と共生する家づくり」。日本の森の変遷里山復活の提案、そして自ら設計する「板倉の家」の紹介など、日本の森を考える上で、とても興味深い内容だった。
その夜、安藤氏を交えた懇親会では、山長商店のスタッフや、豊富な紀州材の地元での活用に取り組む建築家中村伸吾氏らも集まり、熱く熱く語りあった。たつて山で伐採された木は筏を組んで下流に運ばれたという話から筏流しのイベントが提案された。「神楽筏会楽か」と回文を隊長がひねりながら、夜も少しずつ更けていった。
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森の中の道を下ってきた頃には、雨は止み、空から青空か゛見えはじめていた。続いて探検隊は、車で集材現場に向かった。急斜面を登っていく車の窓から、 ロープに吊るされた丸太が空中を移動していくのが見える。集材現場は高台の開けた場所にあり、そこから谷を挟んで向かい側の山を見ると、そのあたり一帯の 木々が伐採されていて、その丸太をこちら側に運んでいるのだ。「直線距離にして700メートルあります。山が険しく林道をつくるのは困難なので、索道 (ロープウェイ)による集材がほとんどです」と松本さん。到着した丸太は枝を落として切断され、トラックで搬出されていく。
  昼になると、探検隊とスタッフは見晴らしのよい尾根に出て弁当を開けた。見渡す限りの山と、吹き渡る風、静寂の中から野鳥のさえずりが時折聞こえてくる。「やっぱり山はいい」隊長はそう言いながらスケッチを始めた。
 
昼食後、探検隊は植林地に向かった。昨年伐採した場所に現在植林中だという。辻さんが特製のリュックに苗の束を入れ、急な斜面をどんどん上がっていく。 探検隊も頑張ってついていくが、みな息が切れてしまった。15分ほど登ったあたりで、辻さんは手際よく杉の苗を植え始めた。
 一日250〜300本植えるそうだ。ふと見ると杉だけでなく桧が植えられている場所もある。これまでは伐採した場所に同じ木を植えていたそうだが、杉は 水に近いところ、桧は山の中腹、広葉樹なら頂上付近でよく育つことが分かったという。「適地適木といって、苗をその樹種にあった場所に植えてあげることが 大切なんです。今後は山の地形に合った木を植林していく方針です」辻さんが言う。すると松本さんが、「木は自分の植えてもらう場所は選べないんですよ。一 度植えられたらその場所でずっと生きていくわけです。文句も言わずにね」と語った。小さな苗を見ながら、隊員たちは育っていく長い年月を想像したのだっ た。「家づくりにたずさわる人間は、苗のひとつを心をこめて植える気持ちが必要かもしれない・・・」と隊長が言った。ブランドと呼ばれる紀州材が、昔も今 も、急な斜面で働く山の人々によって支えられていることに、ある種の感動を覚えながら探検隊は山を後にしたのだった。
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帰り道、探検隊は林業センターを訪ねた。展示室には集材方法の歴史も紹介されていて、川を流したり、山の斜面を滑らせたり、トロッコや森林鉄道を使ったりと、興味深いものばかりだった。
「昔も今も大変な作業に変わりはないですね」と土霊が言った。 和歌山県の森についてもざっと学んだ。森林面積は約36万4000haで県土の77%を占める。そのうち国有林は5%で民有林が61%、天然林が約 37%となっている。人工林では杉の植林面積が約43%、桧が54%で、杉と桧で全体の97%にも及ぶ。森林蓄積量も全国4位という、まさに森林国ならぬ森林県なのである。しかし、これだけの森林を有していながら、木材の入荷量を見ると外材(輸入材)が約76%、県産材が約20%他県より4%と、国産材自給率は約24%しかないのだ。
「なぜ近くの木を使わないのだろう」とカズ。「現在の日本で使用される材木は8割が外材、国産材は2割に過ぎないんだ。日本の山は荒れる一方で、川や海にも影響が出ているんだ」大場隊員が悲しそうに答えた。

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その日の夜、榎本会長が゛興味深い話をしてくれた。和歌山県の山の植生は常緑広葉樹林だが、人の手が入るようになると、薪や製炭材として伐採され、 20〜30年サイクルで自然更新されていたという。しかし戦後の燃料革命で炭の需要が減り、今度は急速に現在の杉や桧の針葉樹に変わったらしい。
「その針葉樹の山をこれまで私たちは自慢してきたわけですが、現在では、少しずつでも元の山の姿に戻していくのが自然ではないか、そう思っているのです」会長の話に隊員一同、静かにうなずくのだった。「山長の森は、これからの日本の森の模範になるかもしれないな」隊長が総括するように語った。
最終日、探検隊は田辺木材共販所に足を運んでみた。西牟婁森林組合が主催する月3回の木材市場が開かれていたからだ。広大な敷地に丸太がきれいに並べられていて、競り子が威勢のよい掛け声で大勢の製材業者に丸太を次々とさばいていく。みみんな木の目利きばかりだから、丸太の良し悪しが始めて決められる場所と言えるだろう。「木も売られていくんですね」と千葉ちゃん。「どうか100年くらい持つ丈夫な家の一部として活躍できますように・・・」森を見てきたばかりのどんじゃら隊員は皆、けなげに同じことを考えていたのである。

都市にも生きつづける紀州の森
                     ( (株)山長商店社長 榎本長治 )

山長商店の「山長」とは私の家の屋号で、江戸中期から商人として山の産物を取り扱っていたようです。山林の所有は江戸後期頃からですが、明治10年以降猛烈な勢いで山を増やし、明治、大正、昭和と規模わ拡大しながら林業を営んできました。

昭和に入り、伐採した木を河川流送して河口の製材所で製材、その販売を始めました。戦後、約5000haの所有山林を背景に、自社製材工場を持ち、品質の良い杉桧の柱を、主に関東の市場に供給してきました。 近年プレカットの普及で、大工さんの目を通らずに木材が運ばれるようになり、木材の品質がおざなりにされる風潮が助長されています。そこで私たちは4年前、自社でプレカット工場を建設し、品質に責任を持てる「無垢の紀州材」を提供できる体制を整えました。注文先とファックスや電話で詳細な打ち合わせをしながら、熟練の大工職人を配し入念に加工された品質の高いプレカット材を、建前の日に現場に届けることが出来るのです。また、目込みがよく、色ツヤの良い素直な紀州材を現しの梁や柱に使ったり、丸太梁に使ったりできるよう、高度なプレカット設備も導入、木を生かして使おうとする。工務店さんに大変喜ばれています。住宅の品質確保促進法に対応するため、7基の乾燥機も設置しました。従来難しかった杉の乾燥ですが、新乾燥機と新プログラムの導入により、ほとんど表面割れを起こさない形で芯持ち材の乾燥が可能となりました。大壁柱としても、見える形でも、安心して紀州材を使うことができます。さらに、品質を測定するラインで含水率と強度を測定し、万全の品質管理を心がけています。建物の構造が確定してCAD入力された段階で、十分な耐力が確保されているかをチェックする構造計算ソフトもまもなく導入予定です。

このように私たちは、数百年にわたって日本の建築の構造を支えてきた国産材を、今の世の中の流れに適合し、安心して使用できる仕組みを構築すべく、懸命に努力を積み重ねてきました。 実際に使われる木がどのように育てられ、収穫され、製品となり、加工されるのか、自分の目で確かめたいという要望にもお応えしています。東京から南紀白浜までジェット機で1時間。空港から弊社まで15分です。最近よく工務店さんがお施主さんを連れてこられます。山の自然とそこでの作業、木の性質と紀州材の品質をご理解いただく旅は、家を建てるというビックイベントに大きな花を添える、思い出深いものになるでしょう。私たちが毎月プレカット加工する80棟前後の家の85%は関東の家です。そこで再び100年の命が与えられるのです。いま紀州の森は日々成長しています。日の光を浴びながら炭酸ガスを固定することであり、地球温暖化対策の有効な手段のひとつでもあります。私たちは、これらを通じて、都市にお住まいの皆さんにも、日本の国土の70%を占める山林と山村に生活する人々に、思いを馳せていただければと願っているのです。

 

   
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